塚本謙一の歴史講座02【埴輪(はにわ)】

 堺市をはじめとした百舌鳥古墳群世界遺産登録され、古墳とならび注目を浴びているのが埴輪(はにわ)です。

 

 埴輪は粘土を様々に成形して色を付けて焼いた素焼きの焼き物で、死者を祀る古墳とともに生まれたと言われています。

 

土偶と埴輪の違いは?】
土偶
埴輪も土偶も焼き物で人の形をしたものがあるということで具体的な違いがわからない方もいらっしゃるかと思います。

 

 土偶は、縄文時代(紀元前131世紀頃~紀元前4世紀頃)に作られた土製品で、動物や人間の形をしています。

 

 「土偶」が何のために使われていたのかという点は、明らかになっていません。ただし、ほとんどの「土偶」は、乳房や臀部などの女性的な身体特徴を強調した造形をしており、女性像が多いということから、多産や安産を祈願するための人形だったと考えられています。

 

 また、多くが破損された状態で出土しているため、「土偶」は壊すためのものだったという説もあります。具体的には、人々が自分の身代わりとして「土偶」を壊すことで、健康維持を祈ったいう考えが有力です。

 

 そのため祭祀などで呪術的な用途として使われたとする説があります。

 

■埴輪
一方、埴輪は弥生時代から作られているもので土偶よりも比較的新しいのです。

 

 また人型以外にも様々な形があり、用途は古墳の周りに並べることです。埴輪についてはこの後詳しく紹介しますが、一番大きなものとしては形状がかなり違うようです。

 

 つまり、土偶と埴輪の大きな違いは、作られていた時期と用途です。

 

 埴輪は大きく円筒埴輪と形象埴輪の2種類に区分されます。埴輪の中で一番早く登場するのが円筒埴輪です。その起源は、弥生時代後期に吉備地方で発達した葬送儀礼用の特殊な土器でした。

 

 最初の前方後円墳といわれる箸墓古墳の葬送儀礼で使われた器台や壺がもっとも古いようです。しかし形が単純だからといって侮ってはいけません!

 

 円筒埴輪はとても多く使用されたことや、前方後円墳の広がりとほぼ同時に全国的に広く使用されたことから、その古墳の年代を決定する指標ともなるのです。

 

 もう一種類が形象埴輪といって、家・人物・動物・盾などをかたどった埴輪です。
目と口が丸く開いている木霊のような顔つきの人形埴輪はなんとなく優しげでかわいいですよね。ちなみに人の他にも、馬や茅葺き屋根の家など様々な形のものがあります。

 

 家形埴輪は墳頂の中央部に配置されるもので、単独で置かれることは少なく複数で置かれ、その周りを円筒埴輪や器財埴輪が取り囲んでいるため首長の居館や神殿・祭殿などの建築物がどこにあったかを復元するのに役立っています。

 

 動物の形だと飾り馬が最も多く、亡くなった方の権威を表していました。埴輪にはたくさんの種類があり、それぞれの形や並べ方に意味が込められているのです。

 

▼補足

【埴輪とは】
 日本の古墳の装飾として墳丘上あるいはその裾部に並べ置かれた土製品。円筒形をしている円筒埴輪と人物,家,動物,器材などをかたどった形象埴輪の2つに区分される。前者は墳丘の表飾として,あるいは墓域を示すために置かれ,後者は葬送の儀礼,あるいは祭祀などに関連して墳丘の頂部や墳丘上の各所に置かれたと思われる。形象埴輪には衣服,装飾品,武器その他当時の生活を表わすものも多く,また素朴ななかに,よく感情を表現しており,美術史研究の対象にもなっている。埴輪の起源については野見宿禰が殉死の代用としてつくることを献策したという伝説がある。形のうえからみると,岡山県などで発見された,弥生時代後期から古墳時代にかけてのものといわれる器台,円筒などが埴輪につながるのではないかといわれている。[≫コトバンク参照]

 

土偶とは】
 人物や動物をかたどった土製品。エジプト,メソポタミア,中国など世界各地で古代より制作されていた。初めは宗教的,呪術的な意味をもつ偶像であったが,のちには墳墓の副葬品,玩具ともなった。中国では殷代から俑 (よう) と称する人物,動物などの陶製像があり墳墓に副葬された。日本では縄文時代に盛んにつくられた。土偶の彫刻表現は時期により相違があり,人物土偶はいずれも女性を象徴的に造形し,農耕社会にあっては,生産神としての地母神崇拝を表わすものといわれる。人物土偶のほか犬,いのししなどの動物土偶もある。弥生時代土偶の遺例はほとんどないが,古墳時代には埴輪土偶と称する形象埴輪 (家形,器材,動物,人物) がある。[≫コトバンク参照]