塚本謙一の陶磁器講座01【信楽焼】

信楽町滋賀県の最南端、標高300mの高原地帯にあり、古くから焼きものの町として栄えてきました。現在でも町の中には、登り窯、レンガ積みの煙突など、焼きものの町らしい風情が漂い、あちらこちらで愛嬌のある狸が訪れる人々を出迎えます。信楽焼といえば「狸」のイメージを持つ方が多いでしょうが、その昔、縁起物として狸庵の初代 藤原銕造が作ったのが始まりといわれています。
 昭和26年、昭和天皇信楽行幸の際、この狸たちに旗を持たせて町中で歓迎したところ、これをたいへん喜ばれ 「をさなどき あつめしからに なつかしも 信楽の狸をみれば」と詠まれたことから、 この後全国的に信楽の狸が有名になったといわれています。

 信楽焼は1250年の歴史があり、日本六古窯の一つ(他は瀬戸・常滑丹波備前・越前)で、古くは天平14年、聖武天皇紫香楽宮を造営する際に、屋根の瓦のために、あちこちから職人を集めて焼いたのがはじまりといわれています。 産業としては鎌倉時代にスタートし、農耕用の水瓶や種壺など自然の灰をかぶった素朴なものが作られました。 室町時代末期になると、茶道の発展と共に、千利休ら多くの茶人が茶器として愛用したため「信楽焼」はその名を広め、後世になって珍重されている各名器もこの頃に焼かれました。 現在では狸はもちろん、土の温かみや手作りの味を伝える食器や花器など、はたまた陶板やレリーフまで幅広く焼かれています。

 信楽焼の特徴としては「火色」「焦げ」「灰被」の3要素が挙げられます。さらに長石粒が多く含まれた信楽の土は、焼かれると器の表面に白く細かい石粒が表れ、乳白色の斑点に浮かびあがります。また窯の中で、薪の灰が炎の勢いにより自然にかかり、緑色や褐色に発色します。これらの特徴は窯の温度などその時々の状態により、その程度がさまざまに変化し、この自然が生み出す美しさが人気のひとつです。気取らない素朴な信楽焼は日本の焼きものの原点ともいわれています。